社会的背景：国民の健康を脅かす筋骨格系疾患の拡大

アメリカでは、筋骨格系疾患（Musculoskeletal Disorders, MSDs）が長年にわたり主要な健康問題とされてきました。腰痛（Low Back Pain）はその代表的な症状であり、全世代に共通する最も一般的な疾患の一つと位置付けられています。米国疾病予防管理センター（CDC）や国立衛生研究所（NIH）の統計によれば、成人の約4人に1人が過去3カ月以内に腰痛を経験しており、特に高齢者・労働者層においては慢性化しやすい傾向にあります。

MSDは、労働生産性の低下、長期病欠、障害のリスクなど、個人だけでなく社会全体に影響を及ぼします。たとえば、腰痛を抱える人はそうでない人に比べて労働生産性が約30%低下するという研究もあります。また、MSDは単に身体の問題だけでなく、精神的なストレスやうつ症状とも関連し、QOL（生活の質）を大きく損なう原因ともなります。

増加する経済的・社会的影響

アメリカ整形外科学会（AAOS）によると、MSDに伴う医療支出は年間2,130億ドルに達し、労働損失や障害による間接コストを含めると3,000億ドルを超えるとされています。また、腰痛は労働損失日数の第一位を占めており、年間約2億9,000万労働日が失われているとする報告もあります（U.S. Bureau of Labor Statistics, 2022）。

さらに、American Academy of Pain Medicineの調査によれば、慢性疼痛全体の中でも腰痛は最も多く、全体の27%を占める主要症状とされています。これは心疾患・糖尿病・がんなどと同等、あるいはそれ以上に広範な影響を及ぼしていることを意味します。

社会保障制度への影響も無視できません。Social Security Administration（SSA）では、障害給付を受ける主要原因の一つが腰部疾患であるとされており、全体の約25%を占めると報告されています。これにより、社会保障コストの増大や、長期就労支援の必要性が一層高まっています。

統計で見るアメリカのMSD問題

指標	数値	出典
成人における腰痛経験率（3ヶ月以内）	約25.6%	CDC (2020)
年間MSD関連医療支出	約2,130億ドル	AAOS (2022)
MSDによる年間労働損失日数	約2.9億日	BLS (2022)
MSD関連障害給付申請割合	約25%	SSA (2021)
MSD関連の外科的処置件数（年間）	約1,900万件	NIH/NIS (2020)
MSDに関連する処方薬支出（鎮痛薬中心）	約190億ドル	CMS (2021)
腰痛患者が受けるMRI・画像診断の年間件数	約3,400万件	AHRQ (2020)

年齢別・性別の傾向

腰痛はすべての年齢層で見られますが、特に40代〜60代で急増する傾向にあります。女性は男性よりもやや高い発症率を示し、特に出産後や更年期のホルモン変化が影響するとされています。若年層（20〜30代）でも、スマホ姿勢や座位中心のライフスタイルにより、慢性腰痛が増えているという報告もあります。

高リスク業種と労働環境の課題

アメリカにおいて、MSD発症リスクが高いとされる業種は以下の通りです：

• 医療・介護分野：患者の持ち上げや移乗補助、長時間の立ち作業が多い。
• 建設業・製造業：重量物の手作業による運搬、不安定な作業姿勢が慢性障害の原因に。
• 農業・食品加工業：反復動作と振動工具の使用が手首・腰部に負担をかける。
• 倉庫・運輸業：パレット搬送や長時間運転による振動性障害が多い。
• オフィスワーク（テレワーク含む）：長時間の座位による姿勢悪化が問題視されている。

特にパンデミック以降、在宅勤務による姿勢悪化や運動不足によって、若年層の慢性腰痛や肩こりが増加しているという報告もあります。職場環境や在宅ワーク設備におけるエルゴノミクス対策の必要性が高まっています。

アメリカにおける制度的対応と医療アプローチ

公的機関の指針と推奨施策

• NIOSH（国立労働安全衛生研究所） は、MSD予防のための作業環境改善やエルゴノミクス導入を積極的に推奨。
• OSHA（労働安全衛生局） では、業種別のMSDリスク評価と対策ガイドラインを策定しており、雇用主に安全配慮義務を課しています。
• CDC（疾病予防管理センター） も、慢性腰痛を含むMSDの予防教育資料を多言語で提供し、労働者への周知活動を強化しています。

医療・保険制度の対応

• 理学療法（PT）と作業療法（OT）：予防と回復の中心的役割を果たしており、MSDの慢性化防止に効果。
• リハビリ施設と整形外科専門医療機関：各州でのアクセス差があるものの、年間1,900万件以上の関連処置が実施されています。
• 医療保険（Medicare・Medicaid・民間保険） による補償制度が整備されており、予防医療の一環としての理学療法支援も拡充中。
• 労働者補償保険（Workers’ Compensation） により、職業性MSDへの対応と職場復帰支援が提供されています。

まとめ：制度・現場・個人の連携が鍵

アメリカにおける筋骨格系疾患、とりわけ腰痛の問題は、国家経済と個人の生活の両方に大きな影響を及ぼしています。医療制度や公的ガイドラインは整備されつつあるものの、実際の現場では地域格差や職場文化の違いによって十分に機能していないケースも少なくありません。

これからの課題は、以下の点に集約されます：

• 企業レベルでのエルゴノミクス導入の促進
• 理学療法・運動療法の早期介入
• 教育を通じたセルフケア意識の啓発
• テクノロジー（ウェアラブル、AI解析）を活用した職場環境の改善
• 労働者の健康状態を可視化・予測するための統合データ活用

公的機関、医療従事者、企業、個人が一体となり、MSD予防と早期対応に取り組むことが、健全な社会構築への第一歩となるでしょう。